12月12日、お笑いコンビ和牛が2024年3月末をもって解散することを発表しました。
解散を考えるきっかけとなったのが「水田さんの遅刻」だったことが話題となっています。
水田さんに以前から遅刻癖があったのか調べてみたところ、2010年にも水田さんの遅刻で解散危機になっていたようです。
そこで過去(2010年)の水田さんの遅刻による解散危機や、その他にも遅刻したことがあったのかをまとめました。
和牛・水田の遅刻がきっかけとなり和牛が解散を発表
12月12日、和牛が2024年3月末をもって解散することを発表しました。
お二人のコメントによると、主な解散理由は「漫才に対する姿勢の違い」のようですが、そのきっかけとなった出来事として、
「3年ほど前に水田さんの複数回の遅刻が重なったこと」
が挙げられていました。
きっかけは、3年程前に気の緩みから複数回の遅刻が重なったことでした。
水田さんコメントより抜粋
3年ほど前から、僕はより舞台に力を入れたいという思いが強くなる一方で、水田の劇場出番への遅刻が続いたことをきっかけに、自分と彼との漫才に対する姿勢の違いが目立つようになりました。
川西さんコメントより抜粋
このように、漫才に対する姿勢の違いが目立つきっかけとなったのが、「3年前の水田さんの複数回の遅刻」だったとお二人とも明らかにしています。
では水田さんは3年前の遅刻以外にももともと遅刻癖があったのか、調べてみました。
和牛・水田の遅刻癖は以前から!2010年にも遅刻で解散危機あり・2015年にも
和牛・水田さんには遅刻癖があったようで、2010年にも水田さんの遅刻で劇場を無期限の出演禁止になり、和牛の解散危機に陥っていたようです。
また2015年にも遅刻したと思われる投稿がありました。
順番に見ていきましょう。
2010年には遅刻で劇場を出禁処分となり和牛解散危機に
2018年の深夜放送の関テレ「桃色つるべ」での和牛のお二人の話によると、2010年に水田さん自身が主催するライブに寝坊し、遅刻したとのこと。
しかもよりによって、そのライブを「吉本のすごいおエライさん」が見に来ており、「無期限の劇場出演禁止」処分が言い渡されたのだそうです。
当時の和牛は舞台とラジオ1本しか仕事がないような状態で、水田さんは
申し訳ないから解散していいよ
と、いたたまれずコンビ解消を申し出たそうです。
しかし、1人で劇場に立っていた川西さんは、この提案を
イヤや
と拒否し、コンビ継続の道を選んだといいます。
その後、処分前から決まっていた東京での初単独ライブの開催は許され、実施。
そしてその様子をDVDに納めて「おエライさん」に届け、「心を入れ替え、頑張ります」と謝罪したところ、「最初からこれぐらいやらんかい」と叱咤激励され、処分は約50日で解除されたそうです。
無事に出演禁止処分は解除されたとはいえ、50日も仕事に穴が空いてしまったきっかけが遅刻だったとは、苦い思い出になったことでしょう。
この時の解散危機を乗り越えて、その後のTHE MANZAIやM−1での大活躍に繋がったのね!
2015年にも水田が遅刻していたツイートあり
また、2015年の6月にも遅刻したと思われる水田さんのツイートがありました。
たむらけんじさんの「反省している水田くんです」というツイートを引用して、
こないだたむらさんが生放送に遅刻して来られた時の気持ちがすごくわかりました。たむらさんもあの時ひくくらいヤバい顔されてましたもんね。
と書いてありますので、おそらくこの時水田さんも生放送か何かに遅刻したのだと思われます。
たむらけんじさんは「こちらが引くぐらい反省してました」とツイートしているので、水田さんも相当反省していたのでしょう。
このツイートへの他の方のコメントによると、「川西さんがしっかりフォローしていましたよ!」とのことです。
今回の解散発表では「3年ほど前」となっていましたので、この2010年、2015年とはまた別のタイミングで2020年頃にも何度か遅刻があったのだと思われます。
このように水田さんが遅刻し、川西さんがフォローするということが何度も重なり、「漫才(舞台)に対する姿勢の違い」を感じるようになってしまったのでしょう。
まとめ:水田には以前から遅刻癖があり2010年に解散危機にも陥っていた
以上、和牛の水田さんの遅刻癖が以前からあったのかを調査しました。
まとめると、
- 水田さんには以前から遅刻癖があり、2010年には遅刻で劇場の出禁処分を受けていた
- その際に解散危機に陥ったが、川西さんは「イヤや」とコンビ継続の道を選んだ
- 2015年にも水田さんが遅刻したと思われるツイートあり
- その際にも川西さんがフォローしていた模様
このようになります。
解散はとても残念ですが、今後ともお二人それぞれの活躍を応援していきたいと思います !