すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由5つ!すずめが悪い?

新海誠監督の『すずめの戸締り』。

感想は賛否両論あるようですが、中でも「猫のダイジンがかわいそう!」という声が多いようです。

そこですずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由5つをまとめました!

目次

『すずめの戸締り』のダイジンがかわいそうと言われる理由は次の5つ。

  • すずめの子になりたかったのに好きになってもらえなかった
  • すずめに誤解されていた
  • 「天気の子」と違い、結局ダイジンだけが犠牲になった
  • すずめの言動に振り回されている(すずめが悪い?)
  • ダイジンは元は震災孤児だった?

順番に見ていきましょう!

すずめの子になりたかったのに好きになってもらえなかった

すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由1つ目は「すずめの子になりたかったのに好きになってもらえなかった」からです

すずめとダイジンの出会いのシーンでは、「ウチの子になる?」と言っていたすずめ。

しかし途中すずめから「大っ嫌い」「二度と話しかけないで」と言われてしまいひどく落ち込むダイジンに、かわいそうと思う方が多かったよう。

先に「ウチの子にならない?」って言ったのはすずめなのに
大っ嫌い」とか
二度と話し掛けないで」とか…
人間て自分勝手、ダイジンかわいそうだった。

ダイジンを要石にしてまたひとりぼっちにするのか、うちの子になる?を信じてついてきたのに、すずめの気持ちを察したからまた犠牲になってなんて健気な子だよ、可哀想に、無責任な言葉は言った側は覚えていないものね

本当にすずめのことが好きなだけだったのに、「大っ嫌い」と言われてしまい、げっそりと痩せてしまったダイジンがかわいそうでしたよね…。

すずめに誤解されていた

すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由2つ目は「すずめに誤解されていた」からです。

すずめがダイジンのことを誤解してたのに謝らなかったとこもやっとした…ダイジンはすずめを2回も助けて最後もきちんと要石に戻って健気なのに

ダイジン、すずめ達に協力してたのに誤解され続け、最後に解って貰えたけど…大好きなすずめの為に自分の責務を果たす切なさ

序盤はすずめたちを翻弄していたように見えたダイジンですが、実は後ろ戸のある場所に二人を導いてくれていたんですよね。

本当は健気に役割を果たしていたのに、すずめたちに誤解されていたのがかわいそうと思う方が多かったようです。

天気の子と違い、結局ダイジンだけが犠牲になった

すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由3つ目は「天気の子と違い、結局ダイジンだけが犠牲になった」からです。

新海誠監督の『天気の子』では、個人の犠牲によって万人が幸せになることを否定していました。

しかし今作『すずめの戸締り』ではみんなの幸せのためにダイジンが要石に戻るという結末ですよね。

このことに疑問を感じ、ダイジンだけが犠牲になるのがかわいそうと思う方が多いよう。

新海誠はさぁ、天気の子で「世界のためだからって一人を犠牲にしてたまるかバーカ!」ってやったのに何ですずめの戸締まりでは「ダイジンたちの犠牲で世界もすずめたちも救われてハッピー!」ってやっちゃえるんだよ……。
天気の子は好きだったのに。

ダイジンだけ犠牲エンドなの?なぜ?
こんなに可愛くて不器用で健気ないい子だったのに?は?おれが幸せにするから返してくれ、ダイジンを

特に猫好きにはこの結末は辛すぎます…。

すずめの言動に振り回されている(すずめが悪い)

すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由4つ目は、「すずめの言動に振り回されている」からです。

ダイジンが犠牲になるという結果に納得できず、その怒りがすずめに対して向かってしまうという方も多かったようです。

結局は最初にすずめが要石を動かさなければよかったのでは?という声も。

すずめが勝手に要石を動かさなきゃ、こんなことにはならなかった

ことの発端作ったの全てお前やろ、何被害者ズラしとんねんと終始思いました。結局誰かが要石になる必要があり、幸せは誰かの犠牲の上に成り立っているんやなと感じました。ダイジンが可哀想だなと思いました

たしかにその通りなのですが、それだと物語が始まらないのでなんとも言えませんね…。

ダイジンは元は震災孤児だった?

すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由5つ目は「ダイジンはもともとは震災孤児だった」と考察されるからです。

ダイジンの正体については作中では語られていませんが、一瞬映る草太の部屋の閉じ師の古文書には、

幕末に起こった安政の東海南海大地震・豊予海峡地震において とある震災孤児が自ら名乗り出て人柱=新大神となり震災を起こすミミズを収めた

といった内容が書かれていたようです。

ダイジンが「震災で親を亡くし、地震を止めるために要石になった子供」であると考えると、余計にかわいそうで仕方ないとの声もありました。

ダイジン初見は依存体質の怖い神様だと思ってたけど、もとは子どものまま死んでしまった閉じ師だって知ってからはもう全てがかわいそうで仕方ない

ダイジンが震災孤児で、ずっとひとりでミミズを抑えてたらさぞ寂しかっただろうって思うし、「うちの子になる?」の言葉がどれだけ温かかっただろうと思うと泣いてしまう。

たしかにこんな生い立ちがあったとしたら余計に泣けてしまいます…。

一方、ダイジンがかわいそうという感想に対して反対する意見もありました。

すずめがダイジンに対して「大っ嫌い」ということや、そもそもすずめが悪いという意見に対しては、

最初はただの猫って思ってたから悪気はないのでは
ただ自分が原因だと言う罪悪感はあるから一緒にやってるんでないの?

という声も。

また、「ダイジンをあのまま孤独に封印させていればよかったのに、どうして封印を解かれ目覚めさせた挙句うちの子になる?と希望を持たせておいて、どうしてまた自らの意思で戻らなければならなかったのか」という声に対して、

小説に書いてるんですけどあの時ダイジンの封印を解かせたのはダイジン自身なので難しいんですよね。ダイジンもただ遊ぶ相手を求めているだけだったし、すずめちゃんも悪くない

という意見がありました。

小説も読んだ上でもう一度映画を見ると、また違う感想になるかもしれませんね!

以上、すずめの戸締りのダイジンがかわいそうと言われる理由についてご紹介しました。

たしかに最後に犠牲になってしまうダイジンはかわいそうに思えましたが、より深い考察もあるようなので、何度も見返したり小説を読んだりするとまた違う感想になるかもしれませんね。

目次