芹香斗亜の父は元プロ野球選手の山沖之彦!母は元タカラジェンヌ

宝塚歌劇団の宙組でトップスターとして活躍する芹香斗亜(せりかとあ)さん。

本名は山沖彩也花さんといい、父親は元プロ野球選手山沖之彦(やまおきゆきひこ)さんです。

さらに母親は元タカラジェンヌ白川亜樹(しらかわあき)さんだそうです。

そこで芹香斗亜さんのご家族(父・母・兄)や家庭の教育方針、また家族で考えたという芸名の由来などについて詳しく調査しました。

目次

芹香斗亜の父は元プロ野球選手の山沖之彦!母は元タカラジェンヌ

宝塚歌劇団の宙組でトップスターとして活躍する芹香斗亜(せりかとあ)さん。

本名は「山沖彩也花(やまおきさやか)」さんで、家族は父・母・兄・芹香斗亜さんの4人家族です。

ご家族を順番に見ていきましょう。

芹香斗亜の父は元プロ野球選手の山沖之彦

芹香斗亜さんの父は元プロ野球選手で、阪急ブレーブスの投手として活躍した「山沖之彦(やまおきゆきひこ)」さんです。

山沖之彦さんは、ダイナミックな投球フォームで阪急ブレーブス黄金期を築いた選手の一人だったそうです。

阪急ブレーブスはのちのオリックス・ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ→現在オリックス・バファローズです。

主な経歴はこちら。

  • 高知県幡多郡黒潮町出身
  • 中学2年生の時に野球を始め、中村高校では1977年春の選抜にエースとして出場し準優勝。
  • 専修大学に進学、東都大学野球リーグでも優勝に貢献するなど活躍
  • 1981年のドラフト会議で阪急ブレーブスに一位指名で入団
  • 1984年には抑えの切り札としてリーグ優勝に貢献
  • 1987年は先発の中心として活躍、リーグ最多勝を挙げる
  • 1994年にはFA権を行使して阪神タイガースへ移籍したが、故障の影響で一軍登板はなく引退

とにかくすごい選手だったということがわかりますね!

中村高校時代には、部員数が12名にも関わらず春の選抜高校野球大会に出場。「二十四の瞳」と称され注目を集める中、準優勝と言う輝かしい成績で甲子園を沸かせたそうです。

阪急ブレーブス入団後は初年度から主力選手として活躍し、最多勝、最優秀救援投手を含む多くのタイトルを受賞されました。

引退後は、テレビ・ラジオの野球解説者として活動する傍ら、NTT西日本硬式野球部で臨時コーチも経験されたそうです。

その後はスナック経営されているとの情報もありましたが、現在はご夫婦で和食料理店を経営されています。(後ほどご紹介します)

阪急ブレーブスで活躍されたということで、宝塚で活躍する芹香斗亜さんのお父様も阪急にゆかりのある方だったのですね。

芹香斗亜の母は元タカラジェンヌの白川亜樹(山沖木綿子)

芹香斗亜さんの母は元タカラジェンヌの「白川亜樹(しらかわあき)」さんこと山沖木綿子さんです。

宝塚歌劇団65期生であり、月組の男役スターとして活躍されていました。

結婚により寿退団後、専業主婦として子育てに専念されていましたが、2002年ごろから13年間、宝塚ホテルの女性専用ラウンジのバーテンダーをされていたそうです。

そして現在はご夫婦で、神戸市灘区で和食料理店「おばんざいカフェ花唄」を営んでいるそうです。(現在休業中との情報あり)

FRIDAYより

こちらは芹香斗亜さんのお兄さんが始めた料理店で、ご両親が引き継いだものだそう。仲が良さそうで素敵なご夫婦ですね!

タカラジェンヌとして活躍、さらに宝塚ホテルのバーテンダーをしていたということで、芹香斗亜さんのお母様もまた宝塚にゆかりのある方だったのですね。

追記:芹香斗亜の母のコメントとは

宝塚の問題を受けて、週刊誌の取材を受けた芹香斗亜さんのお母さんのコメントが報じられていました。

もう、本当にすみません。娘からは”お店は続けてね”とだけ…。見守ることしかできないので

引用:Newsポストセブン(女性セブン10月30日号)

このように語るのみだったということです。

芹香斗亜の兄は山沖陽介で和食料理店を営んでいた

芹香斗亜さんの兄は山沖陽介さんといい、和食料理店を営んでいましたが、現在は結婚相手の家業である織物会社で修行中だそうです。

山沖陽介さんは一度サラリーマンを経験した後、料理の道を志し専門学校に進学。

有名ホテルで修行を積み、念願の和食料理店「おばんざいカフェ花唄」を構えました。

2022年に結婚し、お相手の家業である織物会社で修行することになったため、お店はご両親が引き継いだそうです。

山沖陽介さんの身長はなんと203㎝だそう!

元野球選手のお父さんは身長193㎝、元宝塚のお母さんは172㎝と高身長ですが、長男である陽介さんはさらに体格が良いのがわかりますね。

芹香斗亜さんの身長も173㎝と高身長なのも納得ですね!

芹香斗亜の両親の教育方針は「子どもたちがやりたいことを応援する」

芹香斗亜さんのご両親の教育方針は、「子供達がやりたいことを応援する」というものだったそうです。

ご両親から見ると、芹香斗亜さんはタカラヅカには興味がないと思っていたのだそう。

しかし芹香斗亜さんは中学3年生の1月に突然「タカラヅカに入りたい」と言って、たった2ヶ月の準備期間で見事に合格したそう!

そんなに急に入りたいと言って受かっちゃうなんてすごいですね!

もちろんお母さんも甘くない世界だと知っていたので、タカラヅカ受験のためにサポートをしたそうです。

たった2ヶ月の準備期間ではありましたが、幼少期から習っていたバレエピアノが活きたのだとか。

これも娘さんがやりたいと言ったことを全力で応援する、ご両親の教育方針があってのことだったのですね。

芹香斗亜の芸名の由来は「天空の」という意味の自動車「セリカ」から

芹香斗亜さんの芸名はご家族で考えたそうで、苗字は車の名前「セリカ」、名前は母親の芸名から一字もらったそうです。

名字はスペイン語で「天空の」という意味を持つ自動車の名前セリカから「芹香」としたそうです。

ちなみにセリカというトヨタの車はこちらです。

ご両親は車がお好きだったのかはわかりませんが、車の名前からとは意外ですね!

そして名前はお母さんの芸名『白川亜希』から「亜」の字を1字もらったものだそうです。

「芹香斗亜」というお名前に、ご両親の思いも込められていることがわかりました。

まとめ:芹香斗亜の両親は阪急(宝塚)に縁がある有名人だった

以上、芹香斗亜さんのご家族と、両親の教育方針、名前の由来についてもご紹介しました。

  • 芹香斗亜さんの父は元プロ野球選手の山沖之彦さん
  • 芹香斗亜さんの母は元タカラジェンヌの白川亜樹さん。宝塚ホテルでバーテンダーをしていた
  • 現在は兄が創業した和食料理店を両親が引き継いで営んでいる
  • 芹香斗亜さんの高身長はご両親譲り
  • 芹香斗亜さんは中学3年の時に宝塚を目指し2ヶ月後に合格。ご両親は「やりたいことを応援する」という教育方針で応援してくれた
  • 芸名の由来は車の名前「セリカ」と母の「亜」の字が入っており、ご家族の思いが込められている

現在の男役トップスター芹香斗亜さんは、ご両親がともにご自身のやりたいことを生き生きとやる姿を見て育ったのでしょう。

そして「やりたいことを応援する」というご両親の教育方針の元で、自ら宝塚に入る道を選んだのですね。

また芸名にもご家族の思いが込められていることがわかりました。

その他の芹香斗亜さんのプロフィールや愛称キキの由来等についてはこちらをご参照ください。

また他の関連記事もよろしければご参照ください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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